やぶこぎ探険 −炭焼き窯跡発見・調査・復元−

報告/富川 薫
日 時 1998年12月19日(土) 10:00〜14: 00
場 所 大正池周辺の尾根〜炭焼き窯跡
主 催 鉢ヶ峯の自然を守る会・(社)大阪自然環境保全協会堺自然観察会
後 援 堺市教育委員会、大阪府、大阪府教育委員会
天 候  快晴
参加者 手島司、中西伸、川田勝彦、野口隆司、富川薫、吉田栄子、吉村裕子、仁木梅子 計 8人

 朝は、昨夜から晴れており、その放射冷却のためか、息が凍る感じだった。しかし、歩き出し陽が登るにつれて、どんどん暖かくなり、秋のようだった。
 まず、集合場所で、今日のルートを話し合う。「やぶこぎ探険」は下見なし、ルートも当日皆で話し合って決めるというルール。昨年のやぶこぎ時に、偶然、炭焼き窯跡のようなものを見つけていたので、今回は、それを確認したいと富川が提案、了承される。次にどうやってそこまでいくか話し合う。以前はここを通ったとか、ここままだ行ってないとか各人の思いを話し合い、結局、

1.大正池の北西尾根をやぶこぎして縦走し大正池の堰堤に達する。
2.大正池の堰堤から、池の東側の砂利道を南に下り、鉄塔から池の水面に下る釣り人ルートを降りる。
3.池の水辺を南進し、大正池の源流部に到達し、炭焼き窯跡を探す。

というルートに決定し、出発する。
 鉢塚から少し南へ行った所で、ムラサキシジミを発見。陽光に向かって羽を拡げ、体を暖めている様子。陽光を反射し、非常に美しい。野口さんがちょっかいを出すが、かなり弱っている様子で飛ぶ力もあまりなく、少し場所をかえ羽を閉じてしまった。とじた側の羽は枯葉と区別がつかず、あの美しさはどこへいったかという感じだ。
 コナラの道を下り、第二豊田川沿いに出る。日溜まりには、鳥がたくさん集まっている。ホオジロ、アオジ、カシラダカの類のようだが、双眼鏡を忘れた。誰かが、「頭が黄色い。目のまわりは黒い。」と言う。ミヤマホオジロだ。
 法道寺川との合流点から、法道寺川沿いに上がる。途中の道端に、大きなキノコが7・8本くらいかたまって生えているのを発見。ムラサキシメジのようだという。ムラサキシメジなら食べられるが誰も自信はない。女性陣は、持ち帰って試食してみるとのこと。男性陣に勇気あるものはいない。
 大正池の北西の尾根に取り付く。やぶこぎの開始だ。しょっぱなから大きな段差。よじのぼると、小さな溜池の堤防だ。水はなく、雑木が生えている。道なき尾根線を進む。途中までは軽快なルート。木も大きく深い森の下生えは少なく歩きやすい。しかし、標高を少し上げた所から、かなりひどいブッシュである。元アカマツ林であったものが、近年の松枯れで高木層が急に失われ、ブッシュ化が急速にすすんだものと思われる。コシダが密生し、台風による倒木も多い。枯れた松だけでなく、コナラやカナメモチの大木も倒されている。ヒサカキやコバノミツバツツジなども行く手を阻み、鎌、ナタを使って進む。大正池の直前の尾根で、株立ちのカスミザクラの大木が、大きく尾根をえぐりながら倒れている。地形もこのようにして、徐々に変形してゆくようだ。最後のブッシュをくぐり、大正池の堰堤に到着する。一休みし、堰堤からの鉢ヶ峯の森を鑑賞する。
 堰堤から、池の東側の砂利道に出て、水辺に下る「釣り人道」のある鉄塔へ向かう。釣り人道を下ると、池の水位がかなり上昇しており、水辺伝いに進むことはできない事が判明する。取りあえず、昼食にし、作戦を練り直す。
 昼食後、さらに南の方から、池の南端をねらってやぶこぎをしながら下ってゆくことにする。道なきルートを20分くらいやぶこぎで進むと分岐の谷筋に出ることができた。あとは、目的地の窯跡を探すのみ。
 昨年の記憶をたどりながら慎重にすすむと、再び窯跡を発見。谷筋から3mほど上がった斜面にある。周囲にはネザサが密生し、窯跡の中にもネザサやヒサカキが生えている。皆でこれらを刈り取り、元の形がよく見えるようにした。さながら文化財の修復である。きれいにしてみると、焚き口の小窓の跡や取り出し口の跡も判ってくる。寸法を
はかり(長径3.5m、短径2.9m、高さ1.9m)、窯の中に生えていた最も太いヒサカキの年輪を数えてみる。約30年くらいである。年輪のサンプルを4個作り、皆で持ち帰ってさらに詳しく調べる事にする。以上により、この窯は、昭和40年頃まで使われていたと推定できる。誰かが「東京オリンピックを契機に炭焼きはおわったんとちゃうか」。直径20cmの煙突も残っており、煙突の口には油煙が2cmの厚さこびりついており、かなり使われていたことをうかがわせる。
 和歌山出身の仁木さんによると、戦中、学校では、午前中だけ授業をし、午後は窯の炭出しによくかり出されたとのこと。炭俵は、ススキを編んだゴザのようなものでくるみ、まるくなった側面はヤブツバキの生枝をくるくると巻いたものでフタをしてひもでくくったとのこと。誰かが、窯跡のまわりに炭焼きの痕跡が残っていると言い出す。そういえば、周囲のコナラを見ると、幹が低いところで2本、3本に株分かれしているものが目立つ。これは、一度、炭焼きの為に伐られた跡から萌芽した、いわゆる「台場クヌギ」と同じ現象ではないかと思われる。
 「これは地域文化財みたいなもんやな。」と、しばし炭焼き談義に花を咲かせた。

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窯跡全景 窯跡調査 炭焼窯の図